「自分との対話」【高2・高3精進講話】
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9月7日、高等部2年生・3年生の精進講話。話者は兼子尚美教頭先生です。
テーマは「自分との対話」。
私たちはどこから来て、どこへ行くのか。
人生の意味とは何か。
普段の忙しない日常の中では、なかなかじっくりと考えることができない根源的な問いです。
2024年度の高等部2・3年生の生徒たちは、本学園の大きな変革のさなかを歩んできました。
コロナ禍で中学生活を送ったり、その中でカリキュラムが新しくなったり、探究の授業が始まったり。
まずはこの5年間、6年間を、学園のあゆみとともに振り返りました。
「自分にとっての田園調布学園とは?」
「今不安になっていること、困っていることは?」
これまでと現在の学園生活を顧み、思索に耽る生徒たちのようすが。
本校の創立者である西村庄平先生、初代校長である川村理助先生についてのお話が続きました。本校に入学した際の初心を思い出し、自身が通う本学園についてあらためて考える機会となります。
川村理助先生著『如是集』の言葉について考えました。
「行雲流水 如是々々
七花八烈 善哉々々」
…空を行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動すること。人の人生はそれぞれであり、それぞれが善い存在である。
「人は何の為に生きて居るか。生きて居る為に生きて居る。」
(これ以上の人生観はない筈である。)
…生きていることそのものが目的であり、生きていることそのものに意味がある。人それぞれの生に比較はなく、それぞれがかけがえのない存在である。
「斯うしようか、ああしようかと詮議するのも悪いとは言わぬが、未来のことをいくら考えたとて、的確に決定のつくものではありません。好い加減のところで、どちらかに決定し、考える代わりに、一心不乱に実行しなさい。それが問題解決の第一捷径であります。」
本校の建学の精神である「捨我精進」という言葉について、考えを巡らせていきました。
以下、生徒の振り返りから抜粋です。
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自分の人生は他の人と比較する必要はない。
自分に甘くしているのではなくて、他の人にもその人自身の人生があるのだから、全員が自分は自分でいいということ。
寂しくなったら、人は言葉など繋がる方法は沢山あるのだから、そこに戻ってきたらいい。自分の経験が多くなる中で、色々な思いが湧いてくるが机上の空論となっているだけな気がしていて、少しもやもやしていたが、
「当面の目標を見つめ、懸命に精進すべし」
「事に精進して居ると無限の妙案が湧いてくる。
事実に即しての考案であるから、外れつこはない。」
この言葉を聞いて、このまま突き進もうと思うことができました。
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「過去を悔やむも詮なし。将来を慮るも益なし。
何の為に周囲を見廻すや。何の為に他人と比較するや。
唯応に与へられし運命に随順して、当面の目標を見つめ、懸命に精進すべし。」(『如是集』より)
田園調布学園で過ごす時間の中で、「自分」というものはいつつくられるのか。そもそも「自分」とは何か。本学園での様々な体験、かけがえのない他者との関わりを通じて、さらなる精進を重ねていきましょう。
(高等部2年担任:橋本彬生)