精進講話(高等部2年・3年)
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9月10日、高等部2年生・3年生を対象とした精進講話が、兼子尚美教頭先生によって行われました。今回の精進講話は「自分との対話」というテーマで、多岐にわたる問いかけに自分なりの答えを考えたり、友達と意見を共有したりするなど自分自身と向き合う時間となりました。
私たちは、日々を過ごす中で、不安や悩みが出てきたとき、どう向き合えばよいのかわからなくなってしまうことがあります。その際、「ガチャ」に外れた、当たったという言葉、いわゆる運命論で、考えることから逃げてしまいたくなることもあるでしょう。そこで、「自分とは何者なのか」「自分が存在する意味とは何なのか」について、本校の創立者の西村庄平先生と、初代校長の川村理助先生の考え方を参考にお話が展開されました。
・「私は、かうして學校に来て、はたらいてゐるのがたのしみなのだ。學校中をまはつてあるいてみて、ここをかうしたら、これをここにもつて来たら、などと考へて、それをするのが嬉しくてならぬ。外のことをしても自分はちつともたのしくも面白くもない。」
(「西村先生 追悼録」より 昭和8年10月1日)
・「人は何の為に生きて居るか。生きて居る為に生きて居る。」(これ以上の人生観はない筈である。)
・「過去を悔やむも詮なし。将来を慮るも益なし。何の為に周囲を見廻すや。何の為に他人と比較するや。」
・「如何なる運命が来ようとも、恨まず、呪わず、不平なく、その場その場に適応する精進を実行することである。その時、我々は完全に運命に打ち勝つことができる。」
(川村理助先生 「如是集」)
これらの言葉から、私たちは生きていることそのものに意味があること、その上で過去や他人と比較したり、運命だからと諦めたりするのではなく、自分自身で状況を切り拓くことが大切であると感じました。
自分を見つめる時間がなく、どうしても他へ目が行ってしまうこともありますが、自分にとっての豊かさや人生を考え続け、’’なりたい自分’’を想像することが大切だと感じました。
また、講話のなかでも特に「与えられたものの中でよりよくあろうとする」という考え方が普段の自分の行動を振り返る言葉となりました。
今の時代は、対面での関係だけでなく、SNS上での関係もあり、自分が何者かがわからなくなってしまう時があります。自分がいるべき、いたいと思う場所に重きを置いて生活し、その環境の中で最大限の力を尽くしたいと感じました。
多くの生徒にとって心に残り、生き方を見つめ直すきっかけになる講話でした。
高2ほ組 Y・O、S・F