学園ブログ

学習体験旅行2025in韓国 4日目

4日目は、韓国の首都ソウルを離れて、朝からバスで、扶余(ふよ/プヨ、ブヨ)に向かいました。扶余は、4世紀頃から7世紀まで半島南西部を統治した百済(くだら/ペクチュ)の地です。今日は古(いにしえ)の国・百済をたどる旅です。

百済は、4~7世紀に栄えた国で、中国南朝とも外交関係をもち、古代日本とも関係深い国でした。生徒たちはまず、30分ほどかけて扶蘇山城(プソサンソン)を登りました。有事の際の防衛を目的として、もともとの百済王宮のそばに築かれた山城です。紅葉に美しく彩られた山城を登ると、白村江(白馬江)が見えてきます。あの「白村江の戦い」の舞台です。
唐・新羅の連合軍に滅ぼされた百済が、再起をかけ日本勢と組んで挑んだのが、「白村江の戦い」です。戦場だった「白村江(白馬江)」を船でくだり、皐蘭寺(こらんじ)と落下岩(らっかがん)を見学しました。唐・新羅軍が迫りくる中、扶蘇山城に逃げた百済の宮女たちは、助からないと察し、身を投げる覚悟をしました。せめて落下の恐怖を和らげようと、チマチョゴリのスカート部分に当たる「チマ」で顔を覆い、身を投げたとされます。その様がまるで花のようだったということで「落下岩」と呼ばれるようになりました。結局、唐軍と組んだ新羅が、百済や高句麗を滅ぼし、676年には唐軍も退けて、朝鮮半島を統一しました。今日は天気も良く、穏やかな白馬江を15分ほどかけて下りました。
 国立扶余博物館では、土器や石像などを見学し、日本のものと非常に似通っていることに気づき、生徒は驚いていました。また、中国大陸から朝鮮半島、そして日本列島と辿る仏教のルーツも体感できた様子でした。午後は、百済の都だった「公州」へ。古墳とその博物館を見学し、国宝の「百済金銅大香炉」を直接、見学できました。
現地ガイドの方の解説を通訳を介して聴き、生徒は、その精巧な作りや1500年経っても色あせない装飾に見入って、メモを取りながら見学していました。王の古墳や埋葬物も実物を見ることができ、とても貴重な体験になったようです。

昼食は仏教が盛んだった百済の地にちなんで、蓮の葉に包まれたちまきや、高麗人参の天ぷらなど、ちょっと馴染みのない食材を楽しみ、夕食は「サムギョプサル」を頂きました。生徒たちは韓国で食べる最後の食事を楽しみにしていて、思い切り焼き肉をほおばりました。

いよいよ明日は帰国です。荷造りと体調管理をしっかり行って備えます。
(引率教員一同)