学園ブログ

【高等部2・3年生】精進講話

高等部2・3年生を対象に、兼子教頭による「精進講話」が実施されました。

今回の講話では、兼子教頭から「生成AIが作成した事例の提示」や「ハーバード大学の入試問題」、「学園の歴史」といったテーマが投げかけられ、生徒たちは終始真剣な表情で耳を傾けていました。また講話の締めくくりには、9月9日の「重陽の節句」も紹介され、季節の節目と生命力や長寿を願う文化についての教養を深める機会ともなりました。

生徒たちから提出された振り返りシートには、教頭先生の言葉を受け止め、自分自身の存在や日々の悩みに正面から向き合った深みのあるコメントが多数寄せられました。

  • 「人は何の為に生きて居るか。生きて居る為に生きて居る。」この言葉が取り上げられたとき、「自殺」という言葉が頭に浮かんだ。例えば、虫や動物に「何のために生きているのか」と尋ねても、「何のためって何?『生きる』以上のものはないでしょ。」となるのではないかと思う。以前、世界一幸せな民族が話す言語、という内容の記事を読んだことがある。その言語には言葉のバリエーション自体が少なく、「自殺」という概念がそもそも定義されていないため、そのような選択肢自体がない、という内容だった。人間は、未来を想像したり、物事を深く考えたりする能力が高い。そのため、本来なら”生き”物が思いつきすらしない「生きない」という選択肢を考えることができてしまう。だからこそ私たちは、「何のために生きるのか」という問いを抱くのだと思う。そう考えると、「生きて居る為に生きて居る」という言葉は、ある意味この世界の理に従っているようにも思える。しかし、人間にとって「生きる」ということは、それ以上砕くことのできないものではなくなっている。納得のできる言葉であると同時に違和感を覚えたことが特に印象に残った。
  • これから卒業するまで約1年半、うまくいかないことの方が多いかもしれないが、失敗するのではという不安にかられている暇があるのならまずは実行し、沢山経験を積んでいきたいと思った。
  • 自分というのは生まれてから存在したのではなく、他者との関わり合いや日々の生活を通して少しずつ要素を集め、今の自分を形作っており、その形は日々変化し続けていること、そして時が立つとともに多くの考え方ができるため、今どれだけ辛いことや悩み事があろうが、時間と自分がすべてを解決してくれるんだと思った。
  • 正直、高校2年生になってから周りのレベルが高くなったり求められることが難しくなったりしてこれから先どうにもならないだろうとか色々諦めたほうが良いなとか思っていたが、よく考えればこの環境を中心に考える必要はなくて、一番大事なことは自分が本当に必要なものを考えることだと分かった。
  • 世界は変わらなくても学ぶことによって自分の見方を変えることは出来る、という言葉が印象に残っていて、又共感した。
    先日の宝塚観劇の際に(もし今の私に音楽的素養があればこの進行は〇〇だ、どの楽器を使っていて格好いいのか分かっただろうな)(服飾の知識があれば「ここの振りを映えさせたい」などの意図が分かっただろうな)などと考えて少し悔しくなった事を思い出した。学ぶことの意味を再認識することができた。

講話を通じて兼子教頭から投げかけられた問いや気づきは、生徒たちがこれから歩んでいく学校生活や受験勉強、そして将来の糧となるはずです。今回の講話が、一人ひとりにとって自分らしい成長に繋がる貴重な一歩となることを期待しています。(学年教員)