学園ブログ

秋の文学教室に参加しました

11月22日(水)に、日本近代文学館主催の「秋の文学教室」に高校生2人が参加しました。1~4時間目まであったうち、生徒は最後の4時間目に参加しました。
齋藤美奈子さん、町田康さん、川本三郎さんらが座談会をされ、会場からも質問を取る形で進みました。
今年のテーマは、「文学者の日記を読む――記録と創作のはざま」でした。
いつもは本で読む作家たちが、目の前で肉声で語られる様子に目を見張りました。
特に田辺聖子の戦中日記である『十八歳の日の記録』をもとに、軍国少女が日記を通じてどのように思索を深めていったかを読みといていくところは興味深かったようです。

高校1年のOさんは以下のように感想を述べています。

日記について、今までは、嫌な記憶(夏休みの宿題で無理やり書かされたり)などが多かったのですが、今回の講演で日記への考え方が180度変わりました。
日記とは、自分の生への記録であり、自分の過去に意味を持たせるものだと気付かされました。
日記の一つ一つ(その時の字体、空白の期間、隠れた嘘など)全てに書いた人の心が隠れているということにも面白さを感じます。
日記文学で誰かの心そのままを静かに辿ることができると思うと、今まで手に取ったことのない敬遠していた日記文学‥‥‥つい読んでみたいと思ってしまいました。
また、自分で自分を創作できる世界=『日記』に見惚れてしまったので、1日1日を綴っていこうと思います。
印象に残った言葉は、
『日記』の中の『私』は、孤高の文人であり、どんな組織にも属さない自由人として描かれている。時に世捨人の様相を帯びる。
です。

巷では日記帳がこの時期多く売り出されています。カレンダーも新しくする季節。新しい年にむけて日記帳を手にして自分を見つめる時間をもつのもよいかもしれません。齋藤美奈子さんはこんなことを言われていました。

日記は今の歴史をリアルタイムに残す。日記は小説を超える。小説を超えた小説ともいえる。

日記は一人の空間で作られる。

日記は(小説と違って)先が見えないからこそ、純粋である。

 

また新たに「文学」の楽しさを知った秋の一日でした。

(図書館 二井)