学園ブログ

高3芸術概論×国語×理科 教科横断授業

高3の芸術概論では、1学期に理科と「ギリシャ・ローマ美術の作品を通して筋肉の動きを見る」というテーマで教科横断授業を行いました。古代ギリシャ・ローマ時代の人体彫刻を鑑賞しながら、美術の観点からその表現についてや歴史的背景について、理科の観点から筋肉の動きを解説しました。
1学期の授業の様子はこちらから。

2学期は、その内容を踏まえて、国語の教科書の中から『ミロのヴィーナス』という評論を読み、各自の芸術に関する考えを深めるという授業を行いました。『ミロのヴィーナス』は清岡卓行氏による評論です。ミロのヴィーナスはギリシャのミロス島で発見された大理石の女神像で、発見時に既に両腕が失われていたことから、様々な専門家が元のポーズを予想しています。筆者は、腕が失われたことで鑑賞者の想像が掻き立てられ、美しさに磨きをかけていると語りかけています。これに対し、生徒たちに、腕があった本来の姿の方が美しいのか、それとも腕がない現在の形が美しいのかを問い、それぞれチームに分かれて考えをまとめてもらいました。

生徒たちの意見(抜粋)

腕あり派の意見:

①私たちが知っているミロのヴィーナスは腕がないというところにインパクトがあるから、腕のない像に魅力を感じがちだが、石像自体の美しさを見るなら腕があって完成された状態でも魅力があると思う

②計算されて腕も含めて作られているから(今はないけど)

 

腕なし派の意見:

①製作者が意図しない形で腕が捥げ、その腕が捥げてしまった過程や腕が今どこかの海底に沈んでいるのかも…などを考えている時間!もうすでに腕のないヴィーナスに惹かれているのです

②腕がないことで、自分たちがしたように「腕の形」を自由に想像することができ、様々な観点から作品を楽しむことができるから

③黄金比が強調される

 

お互いのチームの意見に対してもなるほど、と頷いていました。「腕あり派」のチームからは、作者の意図が尊重されるべきといった意見も多数ありました。それに対し、「腕なし派」のチームからは想像できる面白さがあるとの意見があります。芸術の世界では、腕などをあえて描かない「トルソ」とう表現方法もあります。

最後に、今回のディスカッションで出た意見を踏まえて各自の芸術に関する意見をまとめてもらいました。

今回の課題を通して、「作者の意図」や「鑑賞者としての意見」に触れることができました。この授業を選択している生徒たちの多くは、芸術関連の進路に進みます。表現者としての自分をより深く考えるきっかけにしてほしいと思います。

(美術 長峰・国語 小澤)