学園ブログ

「後悔する技術」【高1・高2文化講演会】

童話「三匹の子豚」から得られる教訓は——?

6月20日、高等部1・2年生は文化講演会。

育児・教育・受験ジャーナリストのおおたとしまささんをお招きしました。

「後悔する技術」、それは「傷は宝だ」といえること。

ネガティブな意味合いが感じ取れる「後悔」という言葉ですが、「後悔とはすなわち『問い』なのだ」とおおたさんは言います。
生きていく中で後悔したこと、うまくいかないことに出会ったとき、どのように考えるのか。
キーワードは、「ぼーっとすること」。現代を生きる我々は、ロゴス(logos)、すなわち論理によって問題の解決を図るが、論理的に考えることばかりに縛られると、損得勘定がはたらいて動けなくなってしまう。自分の中のピュシス(physis)=自然に従うことが大切です。

ネイティブ・アメリカンの諺に、「蛙は自分の住んでいる池の水を飲み干したりしない」というものがあります。われわれ人間は理路整然と間違える唯一の動物である、という話にははっとさせられた生徒も多くいたようです。

人間同士でピュシスを感じるものの例として恋愛、また社会の中で、共同体の一部としてピュシスを感じるものには祭礼などがあります。たしかに、スポーツにおける「ゾーンに入る」、「フロー状態」(ある種のトランス状態)に近い感覚が、実は身近にも存在しているように思えます。座禅やヨガなども、実はピュシスを呼び起こす行為であり、そのときは頭で論理的に考えているわけではありませんね。

一生懸命取り組むほど時に人は深く傷つく。勉強や部活など、学校生活における代表的な場面でなくてもかまわないから、「これが自分にとって大切なものなのだ」と感じることができれば、そのときその傷は「宝になる」のです。傷を負うことを厭わない。それは悪いことではなく、むしろ傷を負うことが自分を輝かせる。なんとも勇気が出る考え方です。おおたさんは、ロゴス的な世界でものを考えてばかりいると、すぐに正解を求めてしまう「正解依存症」になってしまう、と警鐘を鳴らします。答えのない問いに向かっていかなければならない世界の中で、世間的でいわれる「正解」に左右されることなく答えを自ら作り出すという発想はきわめて重要です。

おおたさんに対して、生徒からは様々な質問が寄せられました。

Q:今までの人生で経験したことやこれから自分が経験できるであろうことを大切にしていかなくては…と思いつつ、将来のことを考えると進路の選択などで悩んでしまいます。今後世界から必要とされる人材になるために、特に教育の世界においてはどのような考え方がいるのでしょうか?

A:誰かに必要とされなくては、などと思わなくても、あなたを必要としている人は必ずいます。三匹の子豚の中で、レンガの家を作った(その結果、狼から身を守ることができた)三男が一番偉い、という規範を我々は刷り込まれている。三匹とも異なるキャラを持っていて、時と場合によっては長男や次男が必要とされるかもしれないという発想を持っていることです。大事なのは三匹が「助け合える距離感」にいることで、そのような人間関係を作っていくこと。環境によって正解は変わるのに、スマホにアプリをいれるような感覚で、「あれもできなきゃいけない、これもできなきゃいけない」という発想しかないと大変生きづらいように思います。

Q:特段興味関心のあるものがなかったり、逆にたくさんありすぎて、「将来これになろう」という決め手がない場合はどうすればいいでしょうか?

A:興味関心といえば人に伝えやすい「〇〇が好き」といえる、他人にもわかりやすようなものを言わないといけない気がするが、もっと些細なものでもいいのです。その興味関心がどこで生かされるかわからないし、それこそがイノベーションの源泉だともいえます。誰にでも必ず居場所がある。損得勘定で自分に付加価値をつけていくことだけを考えていると、同じアプリを搭載した人と闘わないといけない。そしてそのうち、「これでは食えない」「もっともっと」となるのです。特別なことでなくていいから、その人にしかできない仕事をすることがプロたる所以。そのスキル一つでお金が稼げるかどうか、ではなく、むしろ自分には持っていない力を持った人とチームになることが大事。

後半では、童話「青い鳥」を例にした「近くにある幸せに気づくこと」という内容や、決断する際の心構えについてについてもお話をいただきました。
不確定要素が強い現代の社会において、自分が一番ワクワクする選択肢をとり、選んだ道をどうやって正解にするか、自分で正解をつくる力が肝要であると。

以下、生徒の感想より。

 

私はなんでも人に答えを聞いてしまうクセがあり、人から聞いたことはすべて正しいと思ってそのまま鵜呑みにしてしまうのですが、おおたさんの「経験しないと学べない、自分で試行錯誤をして答えを見つけることに意味がある」という言葉を聞いて感銘を受けました。すぐに人に聞くのではなく、自分で考えてどう解決すべきかが大切なことだと思うしそこで得た自分なりの答えこそが自分の人生において価値のある大切なものだと思いました。また、「傷は糧になる」という言葉について、傷ついた事柄についてガッツポーズをしてたくさん泣けばいいという言葉も衝撃的でした。その傷を経て成長することのできるチャンスだと前向きに捉えることがすぐに立ち直るうえで大切なことだと感じました。 傷は宝になる、ということはこれだけを聞いてもどういうことなのかよくわからなかったのですが、確かに人生で沢山傷ついてそれを糧にして生きると豊かな人生が歩めると思ったので、傷つくことを恐れずに進んでいきたいと思いました。

 

最近は、自分の心にある傷をしまい込んで、勉強や部活、習い事など眼の前にある課題ばかりに囚われていました。しかし、今回のお話を聞き、過去の挫折や悔しさと向き合う時間を作りたいと思いました。自分の人生を振り返ってみると、損得感情やタイパを重視して、自分の興味関心を無意識に押し殺していたように思います。将来は自分にしかできないことで、自分を発揮したいと強く思いました。 全体的に私の悩みや周りの出来事に当てはまる内容が多く、大変強く印象に残る講演会となりました。

 

今回の講演を経て、私は少しものの見方が変わったと思います。子豚の話では、末っ子が優秀だと思っていましたが、お話を聞いて、たまたま末っ子の作った家が狼に強かっただけであり、他のものが相手だったら他の兄が優秀だという話になっていたかもしれないと聞いて、人には得手不得手だったり個性があるから適材適所が大切なのだと思いました。また、青い鳥の話については、「冒険に出たりあちこち探し回ったけれど、幸せは割と近くにあるんだよ」という話であることはわかっていたが、実際にそれを感じるためには冒険に出たり、いろんな困難に出会わなければ気付けないことなのだなと思いました。

 

最後に、本講演主催の公益財団法人一ツ橋文芸教育振興会より集英社文庫100冊と国語辞典を寄贈していただきました。

何かと忙しない日々の学校生活。その中で、傷つくこと、困難に直面することは避けては通れないのかもしれません。
しかし、いつか傷は宝になる。目先の「どれが正解なのだろう」ということに囚われすぎず、時にぼーっと自分を観察していく中で、自分にとって本当に価値があるものに気づけるのかもしれませんね。
今回の文化講演会で得た新たな視点をも糧にして、邁進していきましょう。

 

(高等部2年担任 橋本彬生)